方法ばかり集めているという不毛な行為
読書をしていると、
「○○するには」
「簡単に○○する方法」
「〜〜の読書術」
そんなタイトルの本ばかり、気づくと手元に集まってくる
方法ばかり集めていても、肝心の中身がないので、当然実践に至らず何も身につかない
それに。
人生観だの、〇〇術なんていうのは、完全にその人オリジナルのものであって。
手っ取り早く、他人のそれを自分の生き方に取り入れて楽しようだなんて、そんなに上手く行くものではない。
こうも読み漁っていると、それを肌身で感じる。
それなのに、今日も手元にある「何かの指南書」。
自分はよっぽど馬鹿なのかなぁ。
本屋や古本屋にあふれている、抽象的な何かの指南書なんて、人生の役に立たないよ!
本にも限界がある。
本で無気力は治せない。
それを肌身で感じている私は、今日も無気力である。
最近感じることは、本に書いてある「何かをする方法」や「何かをするコツ」よりも、「何かをしなくても全然大丈夫だから、思い切ってやめてみよう」という情報の方が有益かもしれない。
もちろん、「大丈夫」な根拠を示すのは、読んでいる人が納得するには、何となくとかゴリ押し、とにかく大丈夫、なんてぼんやりしたものではダメだ。
今日一日でできること、1週間でできること、一ヶ月でできること、人生で成し遂げられることなんて、たかが知れている。
時間は有限だ。
私も、How To依存を脱して、本など投げ出して、スマホも机の上に置きっぱなしにして、布団に転がってぼーっとしていようと思う。
私はダメな人間だから、何をやっても続かず、何をやっても「何をやってもダメ」にたどり着くことに気づいてしまった。
それなら、自分がやってなかったこと。
「なにもしない」こと。
なにもしないなら、最初から何を得られる期待もない。
全部全部投げ出して、怖がっていた「ただ時間が過ぎていく」をやってみる。
何かが変われば儲けもんだし、変わらないとしても、何にもしないのだから最高の休息になるだろう。
読書も、ブログも、勉強も、
スマホも、パソコンも。
全部投げ出してただ横になってボーッとしていよう。